8月, 2012

夢であいましょう

火曜日, 8月 21st, 2012

「夢・出会い・魔性」という小説がある。

英語副題は「You May Die In My Show」

もう、この時点で面白いに決まっている、と私は思う。

もと某国立大学工学部助教授という異色の経歴を持つミスティ作家、森博嗣の小説だ。

夢というキーワードでたまたま思い出したのだけれど、この思考のアクロバティックさは凄い。

もちろん、「夢であいましょう」からのインスピレーションだろう。

普通、そこから「夢・出会い・魔性」を思いついただけでもしめた!と満足しそうなものだけれど、そこからの英語副題への展開。

もう、天才だろう。

こんな凄まじいタイトルを発想できる人間の小説が面白くないわけがない。

氏の小説のタイトルは、ざっと思いつくだけでも切れ味の凄いものが多い。

「詩的私的ジャック」

「封印再度(副題『Who Inside』)」

「幻惑の死と使途」

「数奇にして模型」

など、どれもネーミングセンスがズバ抜けている。

氏の経歴は凄い。

では、それは次回で…。

境界条件

月曜日, 8月 6th, 2012

夢が現実に干渉を受ける人ってどれくらいいるでしょう。

あるいは、頻度の問題でもあるかも。

たとえば、日々が充実していると、楽しい夢を見やすくなる。

悩み事を抱えているときは、夢も暗くなる。

いまだったら、夢の季節も夏、とか。

こういう因果関係って、わりと成立してるんじゃないかな。

かくいう私がそうだから。

前回書いた内容にも重なるけれど、こういうことを考えだすと、夢と現実の境界がますますわからなくなる。

そもそも、そこに境界があるのか、という問いに立ち返ることになるから。

自分は何者か。

自分はどこからきたのか。

自分はどこへ向かうのか。

人類が延々と考え続けてきたテーマが頭をよぎる。

すべては自覚だ、とよくいうけれど、まさにそうだと思う一方で、本当に明確な解に辿り着けるのか、という漠然とした不安も覚える。

だから、すべては自覚しかない、自覚しようという意思を持つことこそに意義があると思うしかない、と私は考える。

まやかしや気休めのように思えることもあるけれど、仕方ない。

だって、そこですべてを放棄するのは、明らかに不幸だからだ。

そして、明らかに、といったけれど、これもただの予感でしかない。

つまり、結局のところ自分を信じるしかない。

改めて文字に起こしてみるとまどろっこしくてわけがわからないなあ、と改めて思う。

どうも私の思考のルートは螺旋状のようだ。

だけれど、こんな堂々巡りが好きでもある。

いまのところ、それで良い。

鏡はなぜ、左右しか入れ替わらないのか。

内と外の境界は、どこにあるのか。

問い続けることに価値があるという予感に身を任せ、今日も私は狭間を飛ぶ。